サンダル紀行

オタクがサンダルで家を出た結果。有象無象の記事をぼちぼち書いていく(2019/10/14-)

【巡回】じぶんの行程表【セールスマン】

今日からインドに行きます。宿に何泊するか知らないけど(2泊ぶんしか取ってない)、11日間で帰ってくることは確かです。旅程表を投げておきます。

Dropbox - 冬インド行程表.pdf - Simplify your life

 

旅程をたてるのは旅の醍醐味でもあるが、はっきり言って面倒くさい。したがって上述の行程表はほとんどカラである。ロクなことが書いてない。乗る飛行機と夜行列車、あとは大雑把に行きたいところが記載してある程度だが、国外をぶらぶらするときはこれを印刷して縦に4つ折りにしてポケットに突っ込んで歩くと安心感が違う。

 

雑な行程表を持ち歩く理由

中学高校くらいのときは国内旅行をするにあたって時刻表を片手に朝から晩までみっちりプランを組んだものだが、それは実は公共交通が時間通り動く環境とか、この距離は何分くらいで歩けそうだとか、ある意味日本人が日本という国を理解しているという前提があること、日本という風土への理解に裏打ちされていたものであるといっても良いだろう。

これが海外になると、まず予定通り何かを行うということ自体がかなり難しい。というか予定通り何かをしようと思うこと自体が間違いであると最近思っていて、それで行程表がザルになってしまっている。年々その傾向が強くなっていて、あとから年ごとの行程表を見返してみると本当に雑になった。ただ雑に書いているかといって行程表を作るのをやめる気にはならない。

自分みたくとにかく一日中歩き倒してる人は予定を忘れがちだし、なんとなくやりたいことを列挙しているだけだと時間切れになることが多い。時間切れになったときの後悔は異常だけど、これまで何回も必要時間を過小評価して失敗してきた。例えばバスにギリギリになってバカみたいに走って死にそうになるとか。たぶんADHDなんだと思うけど、そういうことはおいといて、昔から偉い人たちが、「時間というものは伸び縮みするものだ」と言っているので、例えば「2時間」という時間が長い場合もあればまったくもって短い場合もあって、それで感覚に頼るのはやめた。その証拠に自分の昔の行程表には時刻しか書かれていない。かわりに時間の長さを視覚的にわかるように行程表を作り替えて、結果今のスタイルになる。

紙を持ち歩くメリットは海外で歩きスマホするのがいろんな意味で圧倒的に危険なのと、メモ用紙がわりになるということ。あとは旅程の組み直しがボールペンでサクッとできること。パッとみてタスクを時系列順に上から書き並べていけば良いので、物理的に埋まらなければ無理だし、埋まれば予定完成となる。

 

旅はつくる人の性格が出る

たびにはいろいろなポリシーがあるけど自分はとにかくいろんな都市を浅く広く回りたい派。バックパッカーの中には「1ヶ月インドに沈んでました…」とか言って例えばバラナシやコルカタ に半定住してしまった人も多く見かけるけど、自分は同じ1ヶ月間を使うとしても、何都市回れるか、ということを中心に考えると思う。日本でも例えば仙台と東京と京都と大分は全然違うカラーを持っているけど、その中からどれか一つの都市だけを選んでください、とか言われても無理なわけで、それでいて全部行くことが不可能でもないわけで、じゃ全部言ってしまえば良いじゃない。となる。

 

旅をシステマチックにつくる

どこに行こうか比較検討するのが面倒なのもあるし、調べれば調べるほど捨て難くなってしまう。特に何人かで旅行する場合には結局何も決まらないので、そういうときにどうしているかというと、時間という手段を使って(時間制限によって)やりたいことを決定する。それはつまり、選択が面倒な上に決められないという優柔不断なところだろうし、貪欲でわがままな性格をよく表していると思う。(一方でシステム化された旅程の計画方法によって決定された内容については常に異論がないというところを考えると優柔不断だというのはある一面でしかないともいえる)

 

①焦点国を決め、その隣国について一般教養から最低限の世界遺産重要文化財、ほかランドマーク、あるいはやりたいことをおさえる

②回りたい都市を列挙してググる

③予算と休める日数と出入国の航空券の価格から都市を絞る。原則として1都市1日で、特に興味のある年については2日間。

④都市間移動手段を決める。

⑤出来そうなことを追加して埋められる余剰時間は埋めていく

⑥やりたいことを列挙するだけにとどめて、当日天気を見て最終決定

 

まあ、本当に後ろ髪を引かれるまちがあったら、また行けばいいんですよ。人生帯に短し襷に長し、旅する時間くらいあるでしょ。

 

いってきまつ。