サンダル紀行

オタクがサンダルで家を出た結果。有象無象の記事をぼちぼち書いていく(2019/10/14-)

人生2度目の就活をした

 

もくじ

まえがき

年の今頃、愈々プレ社会人として本格的に進路選択を迫られる中で、就活をすることを本格的に決めた。実質的には2回目である。

 

初期研修の"自由化"によって、依然として大学就職がキャリア形成のメインストリート*1ではあるものの市中就職が可能になった。これによって人生の自由度が増したのはもうはるか前のことではあるようだが、それは直接的に労働から解放されたり、意思決定を行う作業から解放されたということではなかった。選択が自由化されただけで、本質的な自由を手に入れたわけでは当然ない。

 

しかしこれは当たり前に見えて実は結構大きな問題だったりする。むしろ選択肢が増えたことで、自ら下した選択が正しかったのかどうか吟味する"心理的な面倒さ"や、こうやってブログを書いて言語化しながら過程そのものを吟味する手間が増加し、結果として「選択しない方が面倒でなかった」という結論にも至る可能性を孕んでいる*2。自由でなかった時代のほうが実は自由説がある。しかも変えられない過去を振り返ることは大抵無意味である。

 

上述のごとく労働からの解放を声高に叫びながらなお労働に勤しみ、選択をやめず、ブログでつらつらと自己開示しがちなのは、ひとの人生が一番おもろいコンテンツであり、選択することそのものが人生だと思っているからにほかならない。選択することは面白くて楽しい。ある意味、選択したいから労働しているという側面もあるのかもしれない。しかし20台後半に突入しても本当にそうなのかは自分でもイマイチよく分かっていない。自己開示することで一定の反響があることは確かで、それ自体が今後の自分の選択におけるあるファクターとして機能する可能性があり*3、それも選択の面白さに拍車をかけている可能性がある。選択の自由が公に可能になって良かった反面、悪い反面、とにかく他人の芝は青い。

 

前書きはこの辺にして、このようなおかしな背景の人間がした就活について、以下に記載する。

 

 

初期研修先の選択は?

生の時点ではまだ具体的な労働像が見えていなかったことや、"労働からの解放" を主眼に置いていたことから、ロクに考えもせずハイポそうな施設に応募した。バイト代のほどんどは航空運賃に消え、よく空を飛ぶ生活をしていた様相とは対照的に、成績は腹を擦りながら地面スレスレで卒業を迎えたので、倍率の高い、paperがある有名病院などはそもそも眼中になかったし、ハイポであっても選択肢には上らなかった。言わずもがな大学病院はその組織性の高さと労働条件から真っ先に選択肢から除外した*4

この時点で、解像度低めのイメージとしては、「東京近郊郊外の、給料高めで、休みがとりやすく、研修医なしでも病棟業務が回り、したがって残業も少なく、歯抜けの診療科もあるが主要科は揃っている200-400床前後の総合病院」を候補に挙げた。この条件下ではネットで検索すると結構な数の「ハイポ病院就活ブログ」なるものがヒットするので詳細はそちらに譲りたい*5。最近では具体的な施設名まで出して紹介するTwitterアカウント、某巨大掲示板、北の大地っぽい名前の食べログ的アプリなど、一定の情報は蓄積されきったように感じるので、初期研修先の情報格差は比較的狭まっているはずである。あるいはハイパー就活ブログを見て、すべてその逆に該当するように施設を探すのもまた一興である。

 

しかし専攻医*6なる今の立場になって考えると、上述のような安直就活ブログでは将来のキャリア形成まで言及している記事は少なく、まず初期を安泰に修了することが主眼に置かれている記事が多かったように感じる。これらにおいてはあくまで選択の仕方を書いているのであってその後の彼ら/彼女らの進路にどのような影響をおよぼしたか、その選択はよかったのか悪かったのか、そもそも正しかったのか間違っていたのか、などフィードバックに乏しいものが多数である。恐らく彼ら/彼女らその多くは大学入局などいわゆるメジャー街道を経験していくと想定され、親族が業界人であるか否かもベースとなる人間の気質や生育環境に大きく影響を及ぼしているように感じるので、そのあたりも本来ならば開示されるべきである*7。ちなみにワイは田舎出身の外様やで*8

 

 

そのうえで俯瞰的に初期時代を振り返るならば、初期の施設選びでまず最優先すべきは救急の充実でも勉強会の有無でも寮の有無でもなく「自施設に残れるか、最悪残ってもいいか」ではないかと思う。初期研修は余程の事故がない限り基本的には時間が解決し、自動的に修了するものである。それに加えて2年間というごくごく短い期限付きである。初期研修の待遇だけを見て就活するのは長いスパンで考えると逆にコスパが悪かった。特に大学回帰を95%くらい選択肢から外していた自分にとっては専攻医に上がる際に就活する必要がある可能性はかなり高く、心理的負担や就活に費やす時間の面からは、しないでよい就活はしないに限る、というのが専攻医の就活を終えた率直な感想である。なぜなら専攻医の就活は後述の通り"水物"だからである。

 

 

就活に踏み切った理由は?

他施設を経験したいという自分の欲望と、②進みたい診療科が自施設になく社会的に就活を迫られたこと、の2点が直接的な要因である。

 

学生の時点である程度は専攻科は絞る必要がある。必要がある、というよりは絞っておいた方が良い、程度の言い方の方が適切かもしれない。診療科を絞ることで将来像を具体化できるからである。そして実際のところ、初期研修でそこそこ思想が変わったとて、診療科は学生時代になんとなく思い描いていたところに落ち着いていくことが、同期を見るに多い。

 

自分はそもそも学生時代学問自体に興味を持てなかった上に、社会人をして以降大きく思想に変化があったので、かりに診療科を絞っていたとて就活はしただろうから、絞ろうが絞るまいが就活をするという結果は変わらなかったと推測している。このようなパターンでは一々過去の選択を悩んでも仕方がない。

 

しかし初期研修中に診療科を決めれば良い、という思想は単なる問題の先送りでしかなく、時間が解決することもなかった。人間の思想はそう簡単に変化しないということを考慮すれば、どんなに興味が無かろうと学生の時点で消去法的に選択肢は絞れる。要素を必要十分に削ぎ落としたうえで詳細なキャリアを考えることでより自分の思い描いていた人生に近づけることができる。それくらい診療科を絞ることは大切である。そしてそれと同じくらい、初期研修先を決めることは実は重要なことであったことに、学生ワイは気づいていなかった*9

 

 

どのように初期を決めればよかったのか?

れは初期研修先での経験を否定するものでは全くない。むしろ前述の①/②のように考える契機になった点で人生のターニングポイントとしてとても充実した2年間になった。

 

最も大きな変化は内科を専攻することを是としたことであるが、マイナー内科は設置している施設が限られているので、少しでも専攻する可能性が残っているならば歯抜けの施設はやめた方が良い。本当に資格としての修了を目指すならともかく、一般的なキャリアを継続する可能性が1ミリでも残っているならば初期はマイナー科のある総合病院を検討した方が良い。そしておそらく、それは外科系マイナーにおいても同様であろうと思われる。もっと踏み込んで言えば、今後の保険医療に従事する気があるならば、ある程度診療科の仕事を理解するという意味で、最低でも2週間程度で良いので研修医時点で選択しておくべきであるし、自分もそうであるべきだったと思っている。他科の様相がポリクリの記憶で終わっていると仕事がやりにくすぎる。初期研修の目的の一つに診療科の共通言語を理解するというミッションがきっとある*10はずである。そして専攻医になって専攻科ローテが始まると愈々誰も教えてくれない。

 

そして次に重要なことは、専攻する可能性のある診療科をもつ施設において、専攻医以降の採用枠があるのかどうかを確認し、専攻医であれば基幹プログラムがある施設を選ぶのが現状の最適解である。特にマイナー外科は大学病院以外の選択肢が少なくなるが、こと内科に関しては非常に多くの施設で基幹プログラムを有しており、しかもその一部は医局派遣とは全く別の独自の採用枠を擁しているのである。大学採用で市中派遣のプログラムを利用する手もあるが、独自採用枠を獲得し、ほぼ常勤扱いではあるものの非常勤待遇とし、人事権を自分の手でコントロールするという人生もまた一興である*11

 

とするならば、そもそも医局派遣のみで占められている施設は見学する意味がないし、診療科を絞る以前の問題として施設を絞ることも並行して進める必要がある。残念なことに、施設ごとに医局支配が決まっているわけではなく、施設の診療科単位での支配である上に、医局人事についてはオープンな情報は非常に少なくなっている。これはひとえに多くの専攻医が大学回帰を果たしていることの証明でもあり、需要の無さからまったくもって盛り上がりに欠けている。基幹プログラムを有している施設でも実際は医局派遣のみで占められていたり、実質八百長選考で外部からの応募はお祈りされる*12ようにできているなど、ただ文字を読んで額面通り受け取るだけでは攻略不可能な裏側も垣間見えた。

mao.5ch.net

 

どうすれば医局支配を攻略できるのか?

大がかつてそうしたように、自分の足で歩いて、見て、聞いて、確認する。


 

見学で何を聞けばいいのか?

学に行かずとも、メールで事務に聞けばよい。逆に言えば、これは時間の豊富にある学生時代から細々と作業し続けることも可能である。むしろ貴重な有給を消化しながらこのような雑用を繰り返すよりも、学生時代に事前調査を行っておけばと後悔もした。このような視点は就活をしてみて漸く分かってきたことである。学生時代に教えてもらいたかったことである。

 

 

いつから就活してたのか?

"職場を人間で選ぶな"とはよく言われるものの、よく言われるだけあって人間で選びがちである。そして今回も気質で選定した。急性期病院はかなり人事異動が活発であることから初期1年目3月までにある程度施設であたりをつけていて、初期2年目になってすぐメールを出せるようにしておいた。4月は各施設とも多忙で受け入れ余裕がない、もしくは受け入れてもスタッフが忙しすぎて時間が取れないことも多々あるようなので、5月以降が望ましいと考えられる。4月1件、5月3件、6月2件と結局5件を見学したが、メールだけで言えばおそらく15件程度は出したのではないかと思われる。もっとも、1年で相当数異動のある施設においては雰囲気は大きく変わることが予想され、一定の評価はもはや不可能である。

 

多くの施設で、自施設で基幹を採用してから医局派遣で穴埋めをするかもしくはその逆、あるいは基幹と派遣を同時に調整している。医局派遣が優先の施設は「枠があるかわからないので期待しないでくれ」などと見学で伝えられる。いわゆる殿様商売の状態である。7月までにはどの施設も概ね採用を終了することが多い。大学の医局説明会は5月~6月にかけてピークで、WEB説明会に参加して参加者にメールを送り見学日程を調整するという流れを採用しているところもある。関連の派遣実績のある施設紹介がたいていあるはずなのでWEBだけは参加しておいてもいいかもしれない。ごく一部の施設では基幹の募集が10月以降という狂気の沙汰を実施しているところもあるが、それは例外と考えて良い。この時期は意思決定に次ぐ意思決定を行う必要があり、たいへんなストレスである。ただでさえ禿げている頭がさらに禿げてしまう。

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何回お祈りされたのか?

1回お祈りされた。大変心外である。最終的には4件応募、内訳は1件途中棄権、1件内定、1件お祈り、1件採用(現施設)となった。欲張りすぎはよくない。ご縁があった施設にお世話になるべきである。選考は大方書類が通れば面接も通る、あるいは見学時に部長と会って雑談ののち部長判断で採用/不採用とするかを決めるというシステムの施設が多いように感じるが、中にはちゃんと面接してくる施設もあるので、対策を怠ってはいけない。初期と同じような解答を準備しなければいけないようないわゆるお堅い"面接"の施設もあるので、それはよくよく把握しておく必要がある。雑談だと思って現場で「橇の合わない同僚の対処法はどのようにしますか?」などと聞かれて現場でしどろもどろにならないように気を付けたい*13。雑談に強く、一対一対応の質問-解答というような面接で主導権を持って行かれるととても弱いことを自覚している。そのような面接形式の施設は見送るということでも、選択肢の多数ある初期においては困ることはなかったが、そもそも門が狭いとそうも言っていられない。

 

 

どのように採用決定したのか?

本命の施設が募集の遅いところだと、滑り止めが滑り止めとして機能しないこともある。内定をもらったとて、多くの施設でその場で自らの就活を終え、他施設への応募をやめて採用受諾しなければ採用とならない施設が多い。稀に併願可能な施設もあるが例外と考えて良いだろう。採用受諾しなければ次点順位の専攻医に採用通知が回るようなシステムである点で"水物"である。

また、大学派遣が突如中止になり(大学都合や派遣予定の本人都合など理由は様々らしい)採用枠を復活させて新規募集に踏み切る施設もあり、はたしてその時点で市場に流浪の専攻医などいるのか甚だ不明ではあるが、そのような意味でも採用枠は"水物"である。

 

実際のところは7月末に通知された内定を蹴り、10月の採用通知でお祈りされた後で今年度採用枠のなかったはずの施設から採用枠復活の案内がありそのまま採用の流れとなった。自分でも予想だにしなかった転帰を辿り、文字通り運ゲーである。時間を割いて多くの施設に顔を出した成果とも言えるかもしれないが、採用枠がなかった場合はニートだったのかもしれない。

 

 

就活は失敗だったのか?

失敗......なわけあるかゴルァ...!

 

そもそも成功か失敗かは現段階で結果を出すのは早計で、初期の就活と同様に、数年後にフィードバックすべき中間結果以上の意味でもそれ以下の意味でもない。実質的な失敗*14と解する読者もおられるだろうが、確かに第一希望ではないが、一度は経験すべきと思っていた施設で椅子があったことと、声をかけて頂いたことには、採用枠がなかった未来の回避という意味だけではなく素直に感謝できることである。強いて言えば全く望んだ働き方ではないが、トレードオフの範囲内で、十分に納得しており、個人的には実質的な成功と評価している。

 

 

もっと書いてください

詳細な数字や固有名詞については記載することができない。追記してほしい内容や個人的な相談あればコメント欄やTwitterのDM、リプで。

*1:中心であることは認めるが正解であるとは言っていない

*2:誰もブログ化しないのでその指摘は当たらない、という批判は受け入れる

*3:他人の人生に影響することもないことはないだろうが

*4:低俗な人間なので博士号や学問追求には興味がない

*5:外科が忙しくない、当直明けが休みなど。逆に救急はちゃんとしていた方が良い、など

*6:代謝内分泌内科

*7:てか本来って何基準なのか?とか言ってはいけない

*8:蒙古弁ユーザーではある

*9:ここでりんの音が鳴る

*10:ガイドラインで定義されているかは知らないが

*11:いわゆる根無し草になるという指摘も甘受する

*12:不採用となる

*13:実際何を答えたか覚えていないくらいには適当な解答をしたように思う

*14:m9(^Д^)プギャー