サンダル紀行

オタクがサンダルで家を出た結果。有象無象の記事をぼちぼち書いていく(2019/10/14-)

【完全無計画】週末弾丸ベトナム紀行【旅行記】(4)Day2午後 ホイアン

東洋のベネチアと呼ばれた日本も、ホイアンというまちにはかなうまい。というくらいいい街だった。ちなみにホイアン世界遺産です。f:id:series189:20191014003219j:image景観に水のある街っていうのは僕の経験からすると例外なく良いんですよ。
ベトナムは国土が湿地帯だし、こういうところはもっとあっていいはずなんですが、整備が追い付いていないというのが実情でしょうね。
ベトナム史は15世紀~16世紀くらいからしか取り上げられることがありませんが、ホイアンの街並みはまさにその時期に繁栄を迎えていた都市です。ダナンの北に古都・フエの街がありますが、こちらも世界遺産ホイアンはフエの外港として中国や日本との交易で栄えたという歴史があります。日本はじきに鎖国しましたので交易は途絶えましたが、そのころ前後に住んでいた日本人が作った建築物なんかはまだ残ってるんですね。f:id:series189:20191014005830j:image400年も500年も前の建物が変わらず残ってるって、そらまあすごいことですね(来遠橋)。特にベトナム戦争も経た中で、よくぞ永らえたなと。
ちなみにホイアンの旧市街に入るには観光チケットが必要だそうですが、街の北から入ったら特に要求されることもなく入れました。Web記事に東の市場側から入るとチケットが必要ないとも書いてありましたが、そもそもチケットの制度なんかあるんだろうか?
この来遠橋は日本人が作ったものですが、橋を渡るのに料金が必要です。ただしこれもガバガバで、右から入るにはチケットが要るが、左から入るにはチケットが要らないという謎仕様。
f:id:series189:20191014005926j:image街の保全には手が加えられていますが、ポーランドのクウィアトコウスキーという建築家が文化財の修復や管理に世界遺産への登録に尽力したそうで、石像が建っています。この人はベトナムに17年間も住んでいたそうで、保全手法が確立されていないベトナムでその指導にあたり、ホイアンの街が世界遺産登録を果たすことができた立役者だとか。本人は登録を見ずにこの地で亡くなったそうですが、こうやって彼のマインドは生き続けているわけですね。f:id:series189:20191014010820j:image

ホイアンのランタン祭りは有名です。祭りに合わせて旅程を組むのはとても難しいことですが、いつか行ってみたいなと思えるくらい良かった。普段からランタンが吊るしてあるので、少なくとも雰囲気は感じ取ることができます。

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腹が減ったので屋台で売ってた5万ドンの焼き物を3万ドンに値下げして購入。味がなくておいしくなかった。
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発射待ちの人力車(なんか違う)
f:id:series189:20191014011013j:imageこのベネチアっぽさ。増水とかなさそうだし、水路のギリギリまで攻めてる建築が魅力的に映る。
ホイアンの街はトゥボン川を隔てた洲上にあるので、そのそれぞれを橋を経由して行き来することができる。今回はバスの時間の都合であまりゆっくりすることはできなかったけど、垢抜けたベトナムの第二面を存分に楽しめたかなと、個人的にはすごい満足してる。

ホイアンに公共交通で来ようと思った時はダナンからのバス(01系統)しか手段が無いが、この終バスが17時20分までとめちゃくちゃ早い。しかもホイアン側は旧市街からは少し離れたところから出るので、1キロ弱歩かなければならない。17時過ぎにぼちぼち帰ろうか、ということでgooglemapを見ながら歩き始めたんだけれども...
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...途中で道がなくなってたんだよね。
オイオイ地図と書いてあることが全く違うじゃねえかと思いつつ、現地民にくっついて歩いていくと完全な行き止まりに。
このルートの丁度中腹あたり。
まずいなあ、引き返すか、とこの道を諦めかけてたら、これまた現地の人が「この道作ってるとこだけどここ通ってって」とロードローラーが行き交ってる工事真っただ中の道を指さして、いや、まあ確かに人の往来も結構あったんだけど、ここ行くのかあwという感じで、地図上では森になってるはずの空き地を大胆に横断。

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宅地造成の一環としての街路整備な気がするけど、結果的にショートカットにもなったし、砂埃を巻き上げるローラーに捕まったことと、バラックから出てきた犬に追いかけられたこと以外は何事もなかった。犬に追いかけられがち。
f:id:series189:20191014011024j:imageで、このホイアン行きのバスに無事間に合い、17時20分に出発。どうもまだこの後に2本ダナン行きは控えているらしいので、結構遅れて運行しているっぽい。いや、そもそもダイヤ通りじゃなくて適当に動かしてるのかもしれないけれども。
運賃は前情報だと18000ドンだとか20000ドンだとかいろいろあったので、細かく18000ドン出してみるか、と思って出したら足りねえよ、と言われたので2万ドン出してみたらそれでオッケーだった。本当は他の人がいくら払ってるか見て運賃支払おうと思ったんだけど、運悪く最初に収受されてしまったので、他の人がいくらなのか見る暇がなかった。出発前にイギリス人の観光客の女性がこれいくらなのかしら...と結構でかい独り言を言ってたんで、「1.8か2万ドンで僕は聞いたよ。たぶんそれくらい」と答えたらちょっと打ち解けた。まあ向こうもガチプロっぽかったんでそれ以上は話さなかったけど、そういうとこあるよね。目と目で挨拶的な。
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エアコンは入るけど最初冷えるまではみんな窓全開。ドアもしばらく全開。バス停は一応あるけどほとんど止まってないし、なんなら一度乗客無視して通り過ぎて、車内にいた客が「乗りたい子いたよ!!!」と大声で叫んでやっと止まった。中学生くらいの女の子(制服を着ていたので学生であることには間違いないと思う)が乗ってきたけど、バスに乗るにも一苦労である。
この国では車体がデカければデカいほど優先される、みたいなところがあって、バスやトラックがクラクションをとにかく鳴らしまくって前にいる車を追い抜いていくのが慣例になっている。そのために、日本から輸入されたと思われる左ハンドルの中古車のクラクションであっても例外ではなくて、現地仕様の爆音ホーンに換装されていてもはや面影はなかったりする。後ろから鳴らされると本当に心臓に悪いので、できることなら鳴らされたくないんだけれども、やたら鳴らしてくるので、こればかりは慣れるしか方法がないと思う。日本だったら町中で喧嘩が起こっているに違いない。こういうのも文化の一つの形態であって現地に居るときは「騒がしすぎるな」とか思うわけだが、静かな日本に戻ると「この横断歩道普通に渡れるじゃん」とか思ってしまう。慣れって良くないですね。
ちなみにホイアン行きのバスに限らず、バスは貨客混載方式。途中の停留所で荷物の受け渡し・引き受け要員が待機してて、バスが日常生活の宅配業務の一端を担っている様子が分かる。電化製品とか、生鮮食品とか、とにかく何でも載ってくるところは見ていて面白いね。タクシーで快適さやプライベートな空間を求めるのも一興ではあるが、個人的には現地交通を使わないと旅してる感じがないので、逆にタクシーはほとんどお世話になるタイミングがない。

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01系統はTran Hung Dao (陳興道)というバイパスを経由する。道中はかなりの速度で飛ばしていて快適。渋滞に巻き込まれることもなく、ホイアンに1時間弱で到着。夜景が広がっていたのでドラゴンブリッジのすぐ脇で降ろしてもらい、ハン川のほとりでぶらぶらしていました。
夕食はここ。

懲りずにフォーを食って早々に就寝。
Day3は次稿。

おしまい。