サンダル紀行

オタクがサンダルで家を出た結果。有象無象の記事をぼちぼち書いていく(2019/10/14-)

地図が生命線だったころ

とにもかくにも地図がなければ旅行できない。旅行どころか明日の講演会の会場だって、飲み会の会場だってわかりゃしない。それくらい地図って生活に浸透してるということ。もちろん、そんなことはあんまり意識することはないけれども、過去の旅程表とか、旅行をする前に集めた資料なんかを見返してたりするとまた別の話になってくる。

 

 

中学・高校の頃はスマホを持ち歩いていなかったというのがあって、結構最近(5年前くらい)になるまで、旅行は行き当たりばったりではしなかったし、そんな発想もなかった。知らない土地に行ってどこに何があるかもわからないのにどうやって行動しろと...という考えだったので、放浪なぞ思いつきもしなかった。
それでも国内旅行を重ねているうちに国内の大抵の場所は分かるようになったし、駅前にどういう店があってどこ行きのバスが出てて銭湯がどこにあって、ということくらいはどうしても必要になる都合上頭には入っていた。ただそれだけじゃ面白みに欠ける。

 

この区間飯田線が迂回する都合上歩いても追いつけるという原理を利用した遊び(?)なのだが、時間がシビアなので、この時もやっぱり地図を読み込んだ。

ちなみにアンサイクロペディアの記事にもなってて、珍しく記事が真面目。これは10年前から全然変わってない。

https://ja.uncyclopedia.info/wiki/下山ダッシュ

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119系。もうこんな光景を見ることはできない。

ところで、ストックホルムに行ったときにちょっと気になった事があったので、こんな記事を書いた。ガムラスタンの宮殿横で見た景色と小樽駅前が似てるなって話で、この時は太陽の光の向きとか、あるいは坂の勾配なんかも関係していたように思う。

note.mu

感覚的に似てるなあと思ってもなぜ似てるかっていうところを突き詰めていくには、ある程度客観的な事実に基づいて検証しないと落ち着かないので、そういう時にはまず地図を眺めるところから始まる。建物とか、方角とか、道のつながり方...etc.

まあ手掛かりになるものはなんでもあって、こういう検証を繰り返していくと、「ここだったらこんな景色が見えそうだ」みたいなのが分かってきたり、地図を見ているだけで教会の鐘の音が聞こえてくる感じがしたりする。

こんなのもツイートしてた。